国分館

治承四年(1180)八月、石橋山合戦で敗れた源頼朝が下総国に逃れた後、下総国衙・平重国を千葉氏が討ち取ると、国府台、国分寺の周辺は同氏が支配することとなった。以後、千葉家は五男である国分五郎胤通が受け継ぎ、名字の地としたという。

その後の国分氏の去就は不明であるが、戦国時代には里見氏の領土となった。国府台合戦時に里見軍の猛将・正木大膳が陣を構えたという伝承の地「大膳山」が付近にあり、この館も里見氏によって使用されたと考えられる。

下総国分寺一帯が跡地で、土塁が残るとされるが、遺構はよく分からなかった。

(参考サイト:古城の丘にたちて 城郭図鑑

下総国分寺

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