東金城

室町時代に千葉氏が築いた鴇之峰城が始まり。後に東金城と呼ばれるようになった。

土気城主・酒井定隆は、城を長子・定治に譲り田間城に移った後、大永元年(1521)に三男・隆敏と共に東金城に入城した。以後「土気・東金の両酒井」と称される。豊臣秀吉の小田原征伐で両酒井氏は北条方として参戦したため、小田原開城後に東金城は豊臣方に接収され、廃された。徳川家康の関東入国後の慶長十八年(1603)に城跡は、家康の御鷹場となり、東金御殿が建てられて幕末まで続いた。

城跡は標高70mほどの台地上に築かれている。城址入口の説明版によると空堀、竪堀、土塁、5つの郭等が残っているというが、未整備で藪化が激しく、判別がつかない状態であった。

 

(【左写真】本丸跡? 【右写真】奥の院(二の丸跡))

 

(【左写真】城址への路 【右写真】登山道入口)

 

(【左写真】伝・家康公お手植え蜜柑 【右写真】八鶴湖)

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