『戦國の人々』

 

高柳光壽(高柳光寿) 著

春秋出版 刊
246ページ

昭和37年3月25日(初版) 480円

評 価
★★★

著者は、戦国史研究の権威であった。
明治25年生まれ。東大史料編纂官、國學院大教授、大正大教授、日本歴史学会会長などを歴任。昭和44年没。

その研究は、極めて実証的で、予断を持たず、数多くの史料を冷静に分析される。博士の打ち出された新説の多くは、当時は画期的なものだったろうが、現在は通説になっている。

本書は、歴史家高柳氏が、戦国時代の武将について平素な記したものであり、「やさしく、面白く書いた専門書」である。

登場するのは、豊臣秀吉、明智光秀、明智秀満、柴田勝家、徳川家康、徳川秀忠、松平信康、坂崎出羽守、柳生宗矩であり、それぞれ小論文として、雑話を交えつつ論じている。

いずれも史料に基づいた氏の姿勢は変わらないものであり、平素な文章で、読み物として面白いと言える。

その中で、柴田勝家の総評について挙げると

「勝家の一生は秀吉や家康に較べて少しもひけを取らない立派なものであった。
なるほど彼は若いとき、信長の弟信行を立てようとして信長と戦い、敗れて信長に降ったことはある。しかしそれは主人信行のことを思い、織田家の隆昌を希ったからであって、裏切りの行為ではなかった。信長に降ってからの彼は信長のために一貫して忠誠をつくした。
光秀討伐の上洛に反対して運命蹉跌の第一歩をつくった前田利家に対して、彼は一言の愚痴もこぼさなかったばかりでなく、賤ヶ岳の戦には利家が秀吉に通じていたことを知りつくしていたろうに、口を緘してそれを腹心の佐久間盛政にさえも漏らさなかった。そしてその利家が賤ヶ岳敗戦の動機を作ったのにも不平を述べないで、従来の交誼を謝して、かえって秀吉のところへ行くように勧めたのである。
このような男が日本の歴史の上でどれほどあったであろうか。人間は落ち目になってから、その本性が出るものである。
勝家はその死に際も、その態度は立派であった。事の成否をもって人間の値打ちをかれこれいうことを私は好まない。」


(本書から著者近影)

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