山本勘助とは何者か
               
信玄に重用された理由

 

江宮隆之 著

祥伝社 刊

平成18年10月24日(初版) 819円
260ページ

評 価

『甲越 川中島戦史』は、長野県松代町の郷土史家・吉池忠治氏が、明治四十四年頃に記したもの(底本)である。

吉池氏は、その中で、「山本勘助の実在が問われてきたことへの反論に心を砕いた」とし、勘助実在説を様々な角度から主張される。

しかし、勘助に関する一級史料(『市河文書』)の無い時代に書かれたものであり、それらは『甲斐国志』『千曲之真砂』など後世の史料に拠り、どれだけボリュームがあろうが、史実に迫るものではない。
(なお同書は、上杉謙信の妻女山布陣に対する懐疑説を唱えるなど、古い書物ながらも画期的な好著である。)

また、吉池氏は、『山本文書』という史料を持ち出し、以下の信玄発給の感状(写し)を挙げている。

 

「この度信州戸石合戦において、その方知略に付き数多討ち取り、これにより甲州巨摩郡武州筋丹井村に城あるべく、知行八百貫文ところ望みに任せるものなり。

 天文十六年五月八日                               信玄 (龍丸朱印)

土屋左衛門尉 奉之   

山本勘助殿  」

 

同感状をもって、作家の江宮隆之氏は、「こうした文書が存在することを一蹴してはならないと思う」とし、学界が勘助に対する信玄の感状が一枚も無いのはおかしいと断ずることへの実在説からの「答え」だと述べている(『山本勘助とは何者か 信玄に重用された理由』)。

さらに江宮氏は、「武州筋丹井村」とあるのは、「武川筋円井村」の誤写と推定され、その山梨県韮崎市円野町上円井の円井氏菩提寺・宗泉院の「山本勘助父子を供養する石祠」を持ち出し
「勘助が実在し、『軍鑑』が記すような軍功があったとしか考えられない事実ではないか」
と力説される。

だが、この感状は、明らかな偽作である。現代の我々にも非常に読みやすく、親切にこの一文だけで何が言いたいのか、背景まで書かれている。
まして、ご丁寧にも年号(天文十六年)を入れ、その年号自体が誤っているのだから、竜頭蛇尾の極みである。

これは、『甲陽軍鑑』に拠ったものだろう。
『軍鑑』は戸石合戦を天文十三年ないし十五年の事としている。

戸石合戦は、一級史料である『高白斎記』『妙法寺記』『厳助往年記』などから、天文十九年(1550)九月頃に行われたことが確実である。(江宮氏は戸石合戦を天文十九年の事と認識されているが、同感状に対しての批判はなく、また年号について触れていない)

一方、山梨県韮崎市円野町に山本勘助の領地だったという伝承が残っているのは確からしい。しかし、その真偽はもちろん不明で、それと同感状を符合させて、勘助実在を確実視するのは、いかにも作家風情のする仕事と言わざるを得ない。

同地に関係する人物が、伝承を補強するために創作したものであろう。
江宮氏は、
「『軍鑑』の辻褄を合わせるために、偽の感状をでっち上げたり、円井地区に石祠を造ったりする暇人はいるまい」
とされるが、そのようなことは往々にして行われている。

なお、この感状は今、どこにあるかは不明だという。

 

ここで、江宮隆之氏『山本勘助とは何者か 信玄に重用された理由』について触れると、山本勘助実在が前提とされており、中立的な観点からの検討は為されていない。史料の分析も拙速である。

同書では、勘助は剣豪で塚原卜伝と接点があったのは確かだとか、高野山で摩利支天のもと修行したとか、楠木流軍学に触れたとか、中国の兵法書『六韜三略』を学んだとか、大内義興(中国地方)に仕えた可能性はかなり高いとか、今川義元と面会した時の勘助の心境まで憶測されている。
読み進めていくにつれ、歴史小説のような書きぶりになってしまっている。

世間受けを狙った、”俗書”のそしりは免れまい。

 

ただし、『大猷院殿御実記』に、寛永十二年(1635)十二月、山本九兵衛正重が徳川幕府に御側衆支配国廻役として登用されたが、その記事で、

「武田家にて名を得たる山本勘介晴幸が四代の孫なり」

と記されていることを紹介している点はいい。

江宮氏は、
「おそらく家に伝えられていた系図や由緒書等を提出して認められたものに違いない」
「山本勘助が、武田信玄の帷幕に重要な存在としていたことの証明ではないか」
と、例によって飛躍してしまっている。

それはともかく、徳川家光時代とはいえ、また『甲陽軍鑑』の影響があったにせよ、このような記録が早くに残されていることは、何を示しているのか検討の余地があると思われる。

 

しかし本書『山本勘助とは何者か 信玄に重用された理由』は、一見、歴史書・専門書のように錯誤させるが、実は単なる小説の類に他ならない期待を大きく裏切らす作品であった。

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