『武田信玄終焉地考』
一ノ瀬 義法 著 |
教育書籍 刊 |
1987年11月20日(初版) |
評 価 |
一ノ瀬 義法氏(いちのせ よしのり)は、昭和九年(1934)長野県伊那市生まれ。信州大学卒。下伊那、上伊那で小学校教諭を勤め、1986年退職。曹洞宗神守山法正寺住職。著書に『伊那のむかし話』『激戦川中島』など。 本書は、天正元年、西上の夢半ばにして武田信玄は、病に倒れた。古来より信玄終焉の地は、信州駒場であるとされてきた。本書は、この通説に真っ向から挑み、ついに新たなる終焉の地を確定した執念の書である。というもの。昭和42年の原版を加筆したという。 戦国時代の英雄・武田信玄がどこで卒去したのか、その場所を論証する一冊である。 信玄終焉の地は、定説では「駒場」とされているが、諸説あり、次の史料が提示されている。 一般には信憑性の高いといわれる『当代記』『御宿監物の長状』の駒場説が採用されている。 一ノ瀬氏は、『甲陽軍鑑』の記述「歳五十三歳で天正元年酉の四月十二日、三河・美濃・信濃三ヶ国の間、ねばねの上村と申す所にて御他界」を”武田氏遺臣の古老の伝承”として重視し、また根羽村横旗にある”信玄塚”の大名級宝篋印塔をその史跡とされている。
本書は、史料の冷静な分析のみならず、現地を実地踏査され、現場で聞取調査をされた貴重な記録である。 らんまる殿の評価「著者である一之瀬義法氏は日本史や中世史の専門家ではないが、敢えてアマチュアとして専門家以上の調査と信州伊那の教員としての地の利を生かし、コツコツと足を使い地元の古老などへも聞き取り調査を実施している。凄いの一言である。そして最終的に導き出した結論(もちろん氏としての推定ではあるが)も充分に裏付けがありなるほどと納得できるものであった。ページ数は少ないが、気の遠くなるような調査に基づく核心に迫る渾身の傑作であろう。」は、正鵠を得ていると言えよう。 また『甲陽軍鑑』校注で著名な山梨大学名誉教授・服部治則氏が賛を寄せている |