武田信玄終焉地考

 

一ノ瀬 義法 著

教育書籍 刊

1987年11月20日(初版)
178ページ 1,200円

評 価
★★★

一ノ瀬 義法氏(いちのせ よしのり)は、昭和九年(1934)長野県伊那市生まれ。信州大学卒。下伊那、上伊那で小学校教諭を勤め、1986年退職。曹洞宗神守山法正寺住職。著書に『伊那のむかし話』『激戦川中島』など。

本書は、天正元年、西上の夢半ばにして武田信玄は、病に倒れた。古来より信玄終焉の地は、信州駒場であるとされてきた。本書は、この通説に真っ向から挑み、ついに新たなる終焉の地を確定した執念の書である。というもの。昭和42年の原版を加筆したという。

戦国時代の英雄・武田信玄がどこで卒去したのか、その場所を論証する一冊である。
信州の城郭研究家である「らんまる」殿のブログによりその存在を知った(『
らんまる攻城戦記〜兵どもが夢の跡〜』、以下同ブログを一部引用する)。

信玄終焉の地は、定説では「駒場」とされているが、諸説あり、次の史料が提示されている。
・駒場説・・・『当代記』『御宿監物の長状』
・波合説(浪合)・・・『徳川実記』
・平谷・波合説・・・『三河物語』『三河後風土記茎葉集』
・根羽説・・・『甲陽軍鑑』『熊谷家伝記』
・田口説・・・『野田城記』『野田実録』

一般には信憑性の高いといわれる『当代記』『御宿監物の長状』の駒場説が採用されている。
(なお『御宿監物の長状』について、
柴辻俊六氏は「ほとんど検討に値しない程度の後世の創作物と判断される」と言っておられる『武田勝頼』)

一ノ瀬氏は、『甲陽軍鑑』の記述「歳五十三歳で天正元年酉の四月十二日、三河・美濃・信濃三ヶ国の間、ねばねの上村と申す所にて御他界」を”武田氏遺臣の古老の伝承”として重視し、また根羽村横旗にある”信玄塚”の大名級宝篋印塔をその史跡とされている。

 

本書は、史料の冷静な分析のみならず、現地を実地踏査され、現場で聞取調査をされた貴重な記録である。

らんまる殿の評価「著者である一之瀬義法氏は日本史や中世史の専門家ではないが、敢えてアマチュアとして専門家以上の調査と信州伊那の教員としての地の利を生かし、コツコツと足を使い地元の古老などへも聞き取り調査を実施している。凄いの一言である。そして最終的に導き出した結論(もちろん氏としての推定ではあるが)も充分に裏付けがありなるほどと納得できるものであった。ページ数は少ないが、気の遠くなるような調査に基づく核心に迫る渾身の傑作であろう。」は、正鵠を得ていると言えよう。

また『甲陽軍鑑』校注で著名な山梨大学名誉教授・服部治則氏が賛を寄せている
素人臭い点がないこともないとしても、その研究への純粋な情熱が、ほとばしり出ていることを十二分に感ぜられる

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